「3は水色」「ラは紫」「Fは肌色」……。

いきなり誰かにそう言われたら、あなたはどう思うだろうか。昔の流行歌や、子ども向け絵本のタイトルかと思うかもしれない。

だが、これらの文言は決して「メタファー」や「創作」の類ではない。

「共感覚」と呼ばれる、いくぶん風変りだが素敵な感覚を備えた人々が、日常的に知覚している「現実」をそのまま表した言葉である。

この共感覚とは、「ひとつの感覚の刺激によって、別の知覚が不随意的に起こる」現象と定義される。

音を聴くと色が見えるという「色聴」や、文字を見ると、そこにないはずの色が見える「色字」が代表的で、「痛みを感じると色が見える」とか、「何かを味わうと手に形を感じる」といった珍しいケースも確認されている。

これまでの海外での研究事例を見ると、何らかの共感覚を持つ人の割合は「2000人にひとり」、「300~700人にひとり」、「200人にひとり」など様々な推計があり、近年は「23人にひとり」という報告もある。


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55422
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ブログでも何度か取り上げてきた共感覚ですが、
最近はメジャーなメディアで取り上げられたり、論文に多く取り上げられたりするようになってきましたね。
しかしながら19世紀後期まではほとんど科学的に共感覚が取り扱われることはありませんでした。
共感覚が万人に見られるようなものでなかったり、人それぞれ症状が異なっていたりしたために、
共感覚の存在自体が疑われていたからです。
共感覚は、想像力が豊かで目立ちたい人が作り出した幻想や、
ドラッグをやっている人の幻想だとみなされることがありました。
しかし、幻想やドラッグという説明だけでは説明しきれないことがあることや、
共感覚を科学的にとらえようとする研究の成果によって、共感覚に対する考え方が180度変わりました。
とくに芸術と共感覚は切っても切れない濃密な関係性がありますね。
芸術家などは共感覚の確認が通常の8倍と言われていて、共感覚者が芸術家になりやすいといって過言ではないです。
後世に残るような大作を生み出した音楽家などは全員そうだと思うな。
共感覚をもたない普通のミュージシャンなどがしばしばドラッグに手を出すのは、
ドラッグを使うことにより、共感覚に近い感覚を体験することができるからです。
そういった意味では、共感覚者は生まれながらに他人と違う世界観を持っているため、
ドラッグに頼るまでも無く芸術家の適性が十分にあると言える。
私の妻も共感覚の一種なのか、過去の記憶が引き出し状に見えるらしくて、
何月何日はどんな服を着ていた・・・とか正確に覚えていて驚きます(^^;)
本人曰く「覚えてるのではなくて、記憶の引き出しから出してるだけ」だそうで、
3日前のランチは何食べたかすらすぐに思い出せない私には理解できない感覚ですw



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